南海本線「泉佐野駅」からほど近い佐野漁港。ここに拠点を置く泉佐野漁業協同組合は、古くから受け継いできた底引き網漁で、現在もなお大阪府下ナンバーワンの漁獲量を誇っている。
敷地内には毎日獲れたての魚介が並ぶ「青空市場」があり、多くの買い物客でも賑わう活気ある漁協である。
そしてこの漁協には、漁師である父親の背中を追い、若くして漁師になった兄弟がいる。高倉一誓(たかくら いっせい)さん(22歳)と弟の昂希(こうき)さん(20歳)だ。日に焼けた精悍な姿の中に、まだあどけない面影を残している2人だが、漁協の中ですでにトップの水揚げ高を狙う存在として活躍しているという。
20代という若さでベテラン漁師と腕を並べる彼らの素顔とは?彼らの日々の暮らしは、いったいどんな様子なのだろう?そんな好奇心に動かされ、漁から港に戻った彼らの姿を追いかけてみた。
ベテランに引けを取らない漁の腕前
午後1時を過ぎると、佐野漁港には、早朝からの漁を終えて50艘近くの漁船がいっせいに戻ってくる。注目の若き兄弟が操る「久丸(ひさまる)」も海面を静かに滑るように港に入って来た。そして岸に近づくやいなや兄の一誓さんが船から岸へ飛び移り、ロープを引いて船を固定する。その動きはとても手慣れていて軽快だ。
船のエンジンが止まるとすぐに、船の上ではこれから始まる競りに向けて、持ち帰った魚の仕分けが始まった。様子をのぞいてみると、船に置かれた無数の箱の中に、ピチピチとはねる大きなタイやスズキのほか、カレイ、舌ビラメ、タコ、エビ、ワタリガニなど、さまざまな魚介がずらりと並んでいる。
「すごい!今日は大漁やね。」と声をかけると、弟の昂希さんがはにかんだような笑顔を見せてくれた。
彼らの父親であり、現在、泉佐野漁協の組合長を務める高倉智之(たかくら ともゆき)さん(48歳)に伺ったところ、兄の一誓さんが漁の段取りを取り仕切り、弟の昂希さんが船長を務めているという。
今は兄弟2人で補い合って一人前の状態、と智之さんの見解は厳しいが、他の漁船と比べて格段に多い魚の量を見ていると、彼らが受け継いだ漁師としての才能を感じずにはいられない。
中学校卒業から すぐさま漁師の道へ
中学校を卒業し、すぐに漁師の世界に飛び込んだという高倉兄弟。どうして漁師になったのかを聞いてみると「漁師が格好良かったから。」と、2人揃ってとても明瞭な答えが返ってきた。
父親の智之さんは、大阪湾の漁師たち誰もから「底引き網漁でトップの腕前」と尊敬され、慕われている漁師でもある。そんな智之さんの姿が彼らに大きな影響を与えたのだろう。
“昂希さん(弟) 小学校の頃から休みの日には親父と一緒に漁に出かけてて、その頃からずっと漁師になりたいという気持ちが変わらんかった。せやから、高校に通う時間がもったいないって自分から親父に掛け合ってん。早く一人前の漁師になりたかったから。”
元気いっぱいにそう話してくれる昂希さんの言葉に、しっかり者で寡黙な印象の一誓さんが笑いながらうなずく。
“一誓さん(兄) 僕は漁師になるか大工職人になるか、ちょっとだけ悩んだよ。でも、漁は自分が頑張った分だけ結果が出るから、やっぱり漁師の方が面白いなぁと思って。”
そうして、兄の一誓さんがひと足早く漁師の道に。まずは親戚の叔父さんの船に乗って3年間修行を積んだそうだ。その後、中学校を卒業した弟の昂希さんと共に父親の船でさらに3年間の修行を重ね、およそ2年前に兄弟で船を譲り受けた。ようやく一人前の漁師として認められた証である。
“昂希さん(弟) 親父から船を任された時はうれしかったけど、それと同じぐらいに、これからは2人だけで頑張らなあかんっていうプレッシャーもあったよ。でも、漁は毎日状況が変わるから面白い。魚のいてるポイントもその日その日で違うけど、今日はどれだけ獲れるかなぁと思いながら網を入れるのが、めっちゃ楽しいねん。”
「息子たちを一人前と認めたからには、余計な口出しはしない。」という父・智之さんは、その寡黙さにさらに身が引き締められる、2人にとって怖い存在だ。しかし、その一方では彼らの一番の理解者である。
そんな父親が話してくれる経験談やアドバイスは、どんな話よりも面白く、次の日の漁へと心を掻き立ててくれるのだとも教えてくれた。
休日なしに漁に出る日々
では、漁に出ていて辛いと感じることはないのだろうか?そんな質問を投げかけてみると、「しんどくて、休みがないこと。」と、またもや2人揃って同じ答えが返ってきた。このぴったりと合った呼吸が、彼らが漁をするうえで大きな武器になっていることは間違いなさそうだ。
〝昂希さん(弟) 毎朝5時に起きて漁に出るでしょ。そこから、だいたい1日に10回ぐらい底引き網を引くねん。網を引き上げるたびに、獲れた魚を水槽に入れたり、氷締めにしたりする作業があるし、漁に出たら昼ごはんもゆっくり食べられへんからね。”
そして昼過ぎに帰港すると、すぐさま競りの準備に取りかかる。競りが終わっても、まだ彼らには船の清掃や次の日の漁の準備が待っており、すべての仕事が終わる頃にはすっかり陽が傾いている毎日が続く。
“一誓さん(兄) 底引き網漁が休漁になる水曜日と日曜日も、僕らは別々に船を出して、タコとかを狙うカゴ漁に出て行ってるしなぁ。休みの日ってほとんどないねん。”
昂希さんは20歳。一誓さんは22歳。いくら若いとはいえ、厳しい仕事を毎日続けていると身体が悲鳴をあげることもあるだろう。友達と遊びに出かけたい日もあって当然だ。
“昂希さん(弟) 親父の口癖が「豊かになりたかったら、人が休んでいる間も働け。」やからね。親父もそうしてきたことを知ってるから、しんどくても漁に出なあかんと思うし。漁師って、ほんまに好きやなかったら、できへん仕事やと思うよ。”
明るく笑いながらそう話す昂希さんは昨年結婚し、奥さんとの間には可愛い娘さんが誕生した。彼もまた尊敬する父親のように、漁師としてはもちろん、一家を支える主として大きく成長していくのだろう。
「今」を大切に仕事に突き進む
命の危険と背中合わせで、後継者も不足している漁師の世界。そんな中で、臆することなく漁師の道を選んだ2人のことが心配ではないだろうか?彼らの父親である智之さんに、そんな質問をぶつけてみた。
“智之さん 息子たちのことを全然心配していない、と言ったらウソになるけど、あの2人やったらやっていけると思ってるよ。心配なのはケガだけやね。
ただ、佐野漁港も底引き網だけでは食べていけない時代が来ているのも事実。今のうちにいろんな漁法を学んで身に付けろ、ということだけはいつも言っています。あとは先輩漁師の僕たちが、これから続いてくれる若い人たちにどんな道筋をつけてあげられるかが大事なんと違うかな。”
息子たちが決めたことを信じて見守る。そんな父親らしい優しさ、懐の深さが智之さんの言葉から伝わってきた。
一方、自分たちと同世代の漁師が少ないという状況やこれからの漁業について、本人たちはどんな風に感じているのだろう?
“昂希さん(弟) 正直に言うと、よく分かれへんね。今は漁を覚えることしか考えられへん。”
”一誓さん(兄) 10年先とか、20年先とか、僕もあんまり考えたことがないなぁ。でも、漁師としていつかは親父超えをしたいし、できなあかんとは思ってるよ。”
そう答えてくれた2人の眼差しは、お節介な問い掛けをしてしまったと、こちらが恥ずかしくなるほどに、まっすぐできれいだ。彼らにとって一番大切なのは「今」であり、自らが選んだ仕事にひたすら突き進んで行くこと。そしてその情熱は、未来への憂いなど吹き飛ばすほどのパワーに満ちあふれているのだ。
漁師の格好良さ、漁の面白さを誇らしげに話してくれた高倉兄弟。彼らの姿を見ていると、大阪の漁業の未来は明るい!と、うれしい気持ちになってしまう。そして彼らのような若い漁師たちが、全国の漁港で明るい灯をともしてくれることを願わずにはいられないのである。
泉佐野漁業協同組合
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