瀬戸内や関西では「春告魚(はるつげうお)」とも呼ばれる言われるイカナゴは、全長20センチメートルぐらいまで成長するスズキ目イカナゴ科の海水魚。
関西人には、イカナゴといえば小さな魚、というイメージがあるかもしれないが、軽く湯がいた釜揚げや、生姜を加えて甘辛く炊いた釘煮として、私たちが親しんでいるのは、「シンコ(新子)」と呼ばれるイカナゴの稚魚なのである。
イカナゴのシンコ漁には解禁日があり、その日の漁の様子は、毎年、春の風物詩としてニュースなどでも伝えられるほど。今年は3月7日に解禁され、もうすでに初物をおいしく味わったという人も多いのではないだろうか。
では、この解禁日は、誰が、どのようにして決めているのだろう?今回は、そんな素朴な疑問を明らかにしようと、大阪府立環境農林水産総合研究所の一施設である、水産技術センターを訪ねてみた。
2ヵ月以上の期間をかけて決定する解禁日
泉南郡岬町の穏やかな海沿いにある水産技術センターは、大阪湾の環境保全と資源管理を支えることを目的に、調査・研究や技術開発を行っている施設。
魚についてもさまざまな調査を行っており、イカナゴのシンコ漁の解禁日を決めるうえでも役立てられているそうだ。
“シンコ漁の解禁日をわざわざ決める理由は、まだ小さな稚魚を獲りすぎないようにするため。親魚にまで成長する魚を残して、来年の産卵につなげていこうという狙いが一番大きいんです。それに、解禁日以前に、昨年獲れたシンコの冷凍物が流通することがありましてね。解禁日を広くアピールすることで、新物のシンコをきっちりと消費者に届けたいという思いもあるんですよ。”
そう話してくれるのは、同センターで主任研究員として働く、辻村浩隆(つじむらひろたか)さん(40)歳。
シンコ漁の解禁日は、親魚調査→シンコ発生状況調査→第1回網おろし検討会議→試験操業→第2回網おろし検討会議と、5つの段階を踏んで決定され、決定までには2ヵ月以上もの時間が費やされるそうだ。
ふ化したてのシンコから導き出す成長予測
“実は、イカナゴはずっと大阪湾の中にいる訳ではないんですね。大阪湾で獲れるイカナゴは、12月末〜1月初め、播磨灘の鹿ノ瀬海域で親魚が産卵します。そして、10日ほどでふ化した仔魚(しぎょ=ふ化直後で、まだ遊泳力のない幼体)が海中に漂い始め、西風によって起こる海の流れに乗って、明石海峡部から大阪湾全体へ広がっていくんですよ。”
兵庫県の水産技術センターで、イカナゴの産卵量や産卵時期などの「親魚調査」が行われた後、その結果を引き継いで、辻村さんたちが行うのが「シンコ発生状況調査」。1月上旬から2月上旬にかけて大阪湾へ調査船を出し、ポイントごとに面積1平方メートルの水柱あたりの、仔魚の数や大きさを調べていくそうだ。
ところが、この調査段階での仔魚は3〜7ミリ程度とまだまだ小さく、調査をするのも一苦労。
まずは「ボンゴネット」と呼ばれる、動物プランクトンを採取するための網具を使って水中の生物を集める。
そして持ち帰った採取物の中から、顕微鏡を使ってイカナゴの仔魚を摘出。多い時には数百尾にものぼる仔魚を、1尾ずつ、10倍に拡大できる投影機に映し出して大きさを測定していくのである。
こうして集約されたデータから、イカナゴの資源量や成長を予測した「イカナゴ シンコ漁況予報」を作成。この予報をもとに、第1回目の「網おろし検討会議」が開かれるのだ。
会議でじっくり話し合いを重ねて
「網おろし検討会議」に参加するのは、大阪湾内でイカナゴのシンコ漁を行っている、大阪府・兵庫県の各漁協の代表者、水産技術センターの研究員、そして行政の担当者。
第1回目の会議では「試験操業」の日時が、第2回目の会議では「解禁日」が、話し合いによって決められる。
“まず、調査データを元に試験操業の日を決めます。そして、試験操業ではシンコの数や大きさの現状を確認して、いつ解禁すればいいのかを決めていくんですよ。”
解禁日を早くするのか、もう少し成長するまで待つのか?イカナゴをより多くの人たちに届けるためにシンコの資源量や成長をみながら毎年の解禁日を決めているのだそうだ。
湾内の13カ所で一斉に行われる試験操業
試験操業日を迎えると、早朝に大阪・兵庫の漁港から、操業を代表して行う漁師たちが、大阪湾内に向けて出航する。そして、それぞれに指定された調査エリアで同時刻に一斉に網を入れ、20分と決められた時間の間、網を曳いてイカナゴのシンコを漁獲するのだ。
今年の調査ポイントは、関空沖8キロメートル、岬町沖12 キロメートル、兵庫県では志筑(しづき)沖4キロメートルなどの計13カ所。操業が終わると、大阪府の海域内で漁獲されたものが、私たちが取材を行っているセンターに続々と集まってきた。
そしてここからは、8名ものスタッフを動員しての集計作業だ。
まずは、ビニール袋に入れて届けられた漁獲物が1つずつ開封されていくのだが、中には他の魚介の稚魚も入り交じっているうえに、素人目には、イカナゴとイワシの稚魚の違いも分からない。
スタッフ達は、そんな中から手慣れた様子でイカナゴのシンコを選別し、プレートの上に並べていく。
そして、コンピュータのタッチペンを使って、シンコの頭と尾の先端部分をマークすると、1尾ずつの大きさが瞬時に計測され、コンピュータ上で順次データ化が完了。こうして、わずか数時間の間に、試験操業の結果が導き出されていくのである。
今年は異例の事態が発生
見事な人海戦術による集計作業が終わると、データを兵庫県の水産技術センターに送った後、辻村さんたち研究員は、すぐに会議が行われる神戸市漁業協同組合へ移動。ここで兵庫県側の操業結果も加えられたデータを元に、その日のうちに、解禁日を決めるための会議が行われるのである。
ところが、これまでの努力の甲斐も空しく、今年は、この日の会議では、解禁日の決定が見送られてしまったそうだ。試験操業の結果、漁獲量が昨年に比べてかなり少なく、他の魚が混ざっている割合が高く、商品としての価値が低かったからだという。
“イカナゴは冷たい水を好む魚で、夏は砂に潜って「夏眠」をします。そして冬になり、水温が下がると砂から出てきて産卵を行うんですが、この冬は暖かくて産卵盛期が遅かったんです。これは予測調査で分かっていた事なので、今年は試験操業日を昨年よりも随分遅らせたんですが、やはり、その影響が長引いてしまったみたいですね。”
そこで、もうしばらくの間、シンコの成長を見守り、およそ1週間後に再び試験操業を行うことに。そして2回目の試験操業を終え、ようやく今年の解禁日は3月7日に決定したのである。
解禁からシンコ漁が終わるまで
イカナゴのシンコは、指示船の誘導のもと、2隻の船で網を曳いて魚を集める「船曳き網(ふなびきあみ)漁」という漁法で漁獲される。
漁期の間に、シンコは自力で泳げるようになるまで成長し、水温の上昇とともに、生まれ故郷である播磨灘をめざして移動。そして解禁からおよそ1ヵ月後、シンコが大阪湾内からほとんどいなくなると同時に、漁も終わりを迎えるのである。
水産技術センターでは、シンコ漁が終了するまでの間も引き続き、各漁業者から漁況を聞き取ったり、水揚げされたシンコの大きさを計測したりと、調査が続けられていくそうだ。
“これは、自分たちが解禁前に出した、漁況予測が正しかったのかを検証・確認するためなんです。今、大阪湾内には、どんなサイズのシンコがどれ位残っているか、という後追い調査を積み重ねていくことで、翌年の調査の精度をより高めていきたいと思っているんですよ。”
解禁日を決めて漁を行うことで、魚の生命をつなぎながら、毎年、私たちの食卓に届けられるイカナゴのシンコ。
今年は、イカナゴの生い立ちや、シンコ漁に関わる人たちの姿を思い浮かべながら、春ならではの味覚を楽しんでみてはいかがだろう。
大阪府立 環境農林水産総合研究所 水産技術センター
大阪府泉南郡岬町多奈川谷川2926-1
最寄り駅:南海多奈川線「多奈川」駅下車、岬町コミュニティバス「谷川」バス停より500m
TEL : 072-495-5252
[見学時間]9:30〜16:00(平日のみ、要予約)
http://www.kannousuiken-osaka.or.jp/shisetsu/suisan/